2007年08月11日

俳句問答の軌跡

わがPC上のメモ帳より、mixi矢子日記での俳句問答を発掘しましたので、
ここにそのコメントの全文を転載します。
現在は、矢子氏がmixiを退会された為、mixi上のログは失われました。
当時、念のためにコピーしておいたので当テキストは救われました。
2006.9.09〜2006.12.06の、一日記に対するコメント全文の記録です。
______________________________

mixi【yacoの日記 】
2006年09月09日20:46 題「わかること」 (写真省略)

欲する味から、からだの調子がわかるように
欲する音から、こころの調子がわかります。

 わたしは、あなたが好きだった。
 そんなあなたが、歌ったの。
 女は、座り心地の良い椅子で
 座り心地の悪そうな、ひとりぼっちを
 演じるんだ、って、ね。でも
 そのとき。わたしのこころには
 届かなかったの。そんなこと。
         ( Patty Waters / College Tour より
           It Never Entered My Mind )

地虫が鳴き、月の映える、この季節。
こんな旋律が、矢子の、気怠い、こころに絡まり
軈て、矢子を抱く、揺籠になります。

眼は、窪み。唇は、すこし、くすみ。
記憶は、遥か遠くへ、流れていきましたが
こんな夜。女の叫び声に、凡てを委ねて、ゆらり。
揺られて居ることの、許される女に、生まれたこと。
ぼわり。矢子の悦びが、また、ひとつ。増えました。
______________________________
2006年09月09日21:27 yaco

先日。田中恭吉さんの、詩と、版画の宇宙を
ぶらり。虫眼鏡片手に、彷徨いました。
いま。日記を綴りながら、ふわり。
三日月様と、お花を題材とした、ちいさな作品を
思い出しましたので、すこし、戯れてみました。

器月泪溢れて闇満たし 矢子

------------------------------------------------------------
2006年09月10日04:03 Jiken

yacoさま、珍しいアルバムお持ちで裏山Cです。
うちには一枚もありません。
今からでも是非出会いたい音楽です。
シェラ・ジョーダンのような歌声かと推測します。
ゆっくり言葉すくなに語られると、考えさせられます。
一字一句と間の全てに伝わる力があります。
お書きの歌詞〜俳句の求心力に吸い込まれます。

------------------------------------------------------------
2006年09月10日21:32 yaco

二健様、こんばんは。

Patty Waters / College Tour は
是非。眼を閉じて、こころを
傾けて頂きたい、音の世界です。
Sheila Jordan & Arild Anderson / SHEILA にも
It Never Entered My Mind が、収録されています。
ぽつり、ぽつり。ふわ。ぼわ。と、歌う
両歌姫ですが、パティーさんの方が
感情の、起伏が激しいように、感じております。

器月について。
大正時代の版画では、お月様の
下部の輪郭を、線のような、細い三日月のように
表現しておりました。
そのかたちが、矢子には、お猪口のように
みえましたので、盃という、言葉を、思いました。
それは、矢子に、逆月という絵を、連想させました。
さかずき、さかづき。さかさづき。
そんな、かたち達の浮んでは消える、夜空で
あれこれ、耽ているうちに、器という
より、深く、広い、言葉に巡り逢ったのです。
二健様。こんな、我流。出鱈目な、手法で
宜しいのでしょうか?

------------------------------------------------------------
2006年09月11日04:26 Jiken

yacoさま、いやはやますます興味が募ってきました。
わがLPのSheila Jordan & Arild Anderson / SHEILA には
ちょうどその曲が入っておりません。CDのみなのでしょう。
SHEILA のLPではもう一枚、
コンファメーションというのがあります。
二枚とも聴き直してみたかったのですが、
只今プレーヤーのスイッチが壊れてしまって叶いません。
ぼつぼつ暗澹と語るようなボーカルは私も好きです。


そうでしたか。器月とは見慣れぬ言葉、
何かなと思っていました。器のような月なのだと、
解釈して読みました。
♪お盆のような月が〜 という歌詞もありますし。
俳句において作者の造語はしばしば登場します。
造語も一つのレトリックです。
分からない、知らない言葉は一応辞書を引いてみます。
調べても分からなければ作者に聞いてみます。
作者の思いが読者に伝わることが大事ですから、
共通認識のない言葉はやはり不利ですが、
逆に発見という独創性は大有りです。
それよりも「溢れて」「満たし」と
立て続く動詞のほうが説明的で気になります。
思いを伝えたいがために、ついああしてこうなったと
言いたいものです。ですから、ああした、
あるいは。こうしたと、のどちらか一つに絞った方が
俳句ではいさぎよい言い方となります。
それと月という言葉のなかに闇は内包されていますから、
つまり容易に連想できますから、もったいないです。
そうすると動詞と闇を再考するという推敲の
一つの方法が見えてきます。
俳句は逆説的ですが、出鱈目やはったりこそ命です。

------------------------------------------------------------
2006年09月11日10:10 yaco

二健様、おはようございます。

Patty Waters / College Tour 試聴は、こちらからできます。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B00006HI6I

Sheila Jordan / Confirmation は、未聴でしたので
早速、すこし。触れてみました。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/B0007ZSHGM/ref=sr_11_1/249-6892518-6281165?ie=UTF8
演奏形態が、影響していることもあるかと思いますが
こちらのお声は、SHEILA のような、湿りのある憂いは
感じられず、My Favorite Things など
可愛らしい印象を、受けました。

Sheila Jordan & Arild Anderson / SHEILA
こちらで、試聴ができます。It Never Entered My Mind は
Windows のみ、対応のようですが。
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/B000027UJC/qid=1084651748/sr=1-3/ref=sr_1_3__i3_xgl15/102-9723474-8178521?v=glance&s=music

矢子の、孵化途中の、俳句のたまごについて。
ご丁寧な、ご指導を頂き、大変、感謝しております。
立て続く動詞、と、内包されている言葉の、重複。
限られた音の世界に於いて、矢子は、広がりを自ら
食い止めておりましたことが、よく、わかりました。
どうも、ありがとうございました。
今後も、どうぞ宜しくお願い致します。

>そうすると動詞と闇を再考するという推敲の
>一つの方法が見えてきます。
泪溢れる、器月の情景に、もう、すこし。
言葉。ひとつひとつの、絵を、じっくり
描きながら、戯れてみました。

  泪酒誰が呑めよう器月
  器月君を満たして泪聴く
  器月臍に耳当て星ひとつ
  虫の音やはらはら満たす器月
  泪雲たゆたふ面影器月       

------------------------------------------------------------
2006年09月13日13:06 Jiken

yacoさま、こんにちわ。
コメント書き込んでアップしないまま、眠り込んでしまって、
起きて続きを仕上げようとしたら、
見事消えて無くなってました。
下書きはメモ帳にした方がいいと、
つくづく思い知らされました。
…ということで改めて。

ご紹介のサイトで試聴してまいりました。便利なものですね。
昔はこんなことは出来ませんでした。
Patty Waters に関しては、私は全然知りませんでした。
私の周りで話題になったことがありませんでした。
好みですから是非アルバムを一枚欲しいところです。
饒舌でなく一字一句一音一間ゆっくり噛みしめながら歌い、
それをそのように聴く贅沢さは何とも言えない至福の時です。
暗澹と陰鬱に、冥府を彷徨いながら醸し出される抒情に
惹かれます。パティもシェラもその歌姫ですね。
発見と再認識をさせて頂きありがとうございました。

さて、今度は俳句話題です。
矢子さまのご孵化の手助け、喜んでさせて頂きます。
いい天気の維持ていどのものですが。
指導というよりか、あんなこんな考え方や方法もあるよ
という選択肢の披露です。音響も文言も絶対的な到達点は
ないですからね。一神教じゃなくて多神教の世界観です。
あれも良かろうこれも良かろう、あとは好みだねと、
お茶を濁す茶番劇こそ人の世の道と思います故。
俳句は自分との格闘文学です。(他もそうでしょうが)
自分にうぬぼれ、自分を許し、自分を叱咤し、自分を疑い、
自分に翻弄され、その結果の一粒種の俳句を娑婆に蒔いて
みるのです。殆どは芽が出ずに死滅する宿命にあります。
でも丈夫に育つのもあります。
先の結果は分からないものです。
以上イントロダクションでした。

俳句は一句から沢山のバリエーションが考えられます。
それを作って晒すことは下手なプライド(守り)を捨てれば
難しくはあれません。
矢子さんは正にそれをやってのけてます。
そのことは、矢子さんの習作の絵と思うことを、この日記で
見せてくれていることと同様です。いいことだと思います。
私に言わせれば、腹を割ることのできる友人たりえる人です。

5句それぞれ矢子さんの思い入れがたっぷり盛られています。
矢子さまの作ったステンドグラスは大胆な構図で、
観る者の想像力をかきたててくれます。
貴硝子作品は作者の意図を遥かに越える造形だと思います。
俳句に戻って、極限すれば矢子さんの器月の句は、
もうその言葉を作った時点で完成しています。
その完成度を落としているのが思い入れや親切心の弊害です。
分かってもらいたいために説明的で多弁になって、
道具や小物や感情をたくさん持ち出してきます。
短歌ではそれでいいのです、しかし下句を失った俳句は、
その不足を読者の想像力に委ねます。
それらの物(器月以外のもの)は、主体を殺してはなりません。
あくまでも引き立てるか、火花を散らすほど反逆しなくては
なりません。
俳句用語では、二物衝突、二句一章、配合などと言います。

 泪酒誰が呑めよう器月 …泪酒が器月を殺しています
 器月君を満たして泪聴く …甘く説明過多です
 器月臍に耳当て星ひとつ …月と星はツキスギです^^;
 虫の音やはらはら満たす器月 …虫と月は季重なりです
 泪雲たゆたふ面影器月 …泪雲が器月を殺しています
            且つ、雲-影-月は連想の想定内
            なので陳腐を免れません

と手厳しくコメントしましたが、めげずに自己孵化と
次なる試練自己脱皮を遂げて下さい。

ヒント:器月から、人はたくさん連想してくれますから、
まったくべつのことを言うと、その句の世界が広がりますよ。
まともな頭じゃない頭を使うという訓練ができますよ。
(こんなこと言うのは私だけです、念のため(・・;))

------------------------------------------------------------
2006年09月15日08:47 yaco

二健様、おはようございます。

矢子の、居心地の良い、狭き、想像の輪。
そのなかで、ぐるぐる、飛び回っておりました、こと。
とても、お恥ずかしいですが
二健様に、気付かせて頂けた、こと。
とても、嬉しく、また、有り難く、感じております。
すこしでも、異なった心地の、想像の世界へ
羽を伸ばし、冒険を試みたい、と、思いました。

また、二健様の、貴重なお時間を、矢子の
未熟なたまごを、温めるために、費やして頂き
大変、恐縮しております。孵化に向けて
努力致します。

戯れれば、戯れる程。色や、文字が
絵となって、溢れて、揺れて、流れていきます。
突けば、突く程。香りや、音が
感情となって、湧いて、旅して、消えていきます。

ぽつり。舞降りた、言葉と
ぼわり。広がる、情景を
説明的でなく、互いに、殺しあうこともなく
織り込むことは、大変、難しい作業です。
改めて、俳句の魅力に、溜息のでる、思いです。

 切なさや羊たゆたふ器月
  (矢子の絵は、伝わりますでしょうか。)
 器月臍に耳当て転生す
  (臍と、転生は、連想想定内でしょうか。)
 器月沈む軒先猫跳ねる
  (世界が、狭いでしょうか。)
 器月恋に戯る塩加減
  (食器と、塩は、近過ぎる、関係でしょうか。)
 器月黒人霊歌靴磨く
  (黒人霊歌が、器月を、殺しておりますでしょうか。)

このような、感じになりました。
宜しくお願い致します。

------------------------------------------------------------
2006年09月15日16:51 Jiken

さすが矢子様、お打たれ強いくて安心しました。
今回のコメントは辛らつ極まりないものでした。
我が老婆心と高尚な冗談が過ぎて退かれること幾度か、
特に女性には、お手柔らかにしなければと思いつつ、
ついつい魔が差してしまうのでございます。
切磋琢磨のもの作りの荊道、
最早これまでの危機多々ありなん。
矢子様の受身の軽やかなこと人身を超え、
仕切り直しの的確なこと、人智を超えます。
言葉の芸には絶対はありません故、
手元を離れた俳句がどのような一人歩きをするのか、
経験と思考に基づいた相対性をもって予測を立てて、
ああでもない、こうでもないと言うのであります。
…こういう理屈は聞き流して、
感性の俳句を生かしましょう。
矢子様の感性と想像力の豊かさは天下一品ですから。
俳句が恐ろしいのは、観念が感性を押しつぶしてしまう
一種の踏み絵、はてまた拷問器具のようなものだ
ということです。俳句ではいくらでもケチが付けられます。
蛇の道は蛇、俳句の道は俳。
揺り篭から墓場まで、俳々しましょう。
(いつも前置きが長くてすいません)

流石矢子様、今度は先制攻撃の()付きですね。
一本取られました。では、具体的に

 切なさや羊たゆたふ器月
  (甘く流れていない佳句。感動の観念を具体的景で対峙)
 器月臍に耳当て転生す
  (「転生す」は理屈と説明。
   読者の評言の先取りは宜しくない)
 器月沈む軒先猫跳ねる
  (〜猫おどり、猫の道、辺りの名詞系にしたい)
 器月恋に戯る塩加減
  (食器と塩はいいが「恋に戯る」が観念語で…、
   具体語でそれを暗示させるともっと良い)
 器月黒人霊歌靴磨く
  (カチッと出来ている)

だいぶ良くなりましたね。孵化が早いです。
では、ご精進下さい。

------------------------------------------------------------
2006年09月16日12:53 yaco

二健様、こんにちは。

早速の、お返事。
大変有り難く、拝見致しました。

窮屈な、箱のなかで、また
笞で、打たれながら。
僅かな、自由は、限りなく
広大なものへ、と、化していきます。

すこしづつ、理解に努めて参ります。

器月臍に耳当て出舟待つ
器月沈む軒先猫おどり
器月肌が聴き入る塩加減

涼しい風が、柔らかい陽の光と
絡まって、とても、素敵な窓辺です。

二健様。引き続き
厳しく。宜しくお願い致します。

------------------------------------------------------------
2006年09月16日18:00 Jiken

矢子様、こんばんわ。

俳句は、言わずに言う文芸です。
裏返せば、言って言わない文芸です。
分かったような分からないような文芸です。
しかし想いも感動も伝わります。
私が今まで述べてきたような理に毒されることなく、
矢子さん持ち前の感覚と想像力で俳句の星を灯して下さい。
理は理で制することは出来ますが、
感性に対して理は無力です。
これからも理責めはしますが、
笊で受け止めて、そのまま洗い流して下さい。

趣の違う器月の絵が三枚並びました。
同じ器月でも違った光りを放っています。

・「臍に耳当て」の卑近がいいです。
・鳥獣戯画のようで面白いですね。
・比喩の畳み掛けが意味の裏切りへと
 転換される凝った句です。

その調子、その調子。
私も一句。

  器月なるもの取ってくれろと云う  二健

------------------------------------------------------------
2006年09月17日09:18 yaco

二健様、おはようございます。

素敵なお句を、拝見しながら
単純ながらも、矢子は
幾つもの幾つもの、絵を
楽しく、描くことができました。
さらり。矢子の、想像力の風船を
膨らませてしまう、お業。
俳句マスター、二健様。

>器月なるもの取ってくれろと云う  二健

真夜中の、果樹園。
梨園でしょうか。林檎園でしょうか。
女体横たわる、夜空。
その女は、貴方を、攫っていくでしょう。

下降する、器のような、お月様。この
丘の風景を、掬い取って、何処か
遠くのお星様に、産み落としました。
幼い女の子。今宵の、玩具にしたいのです。
あの、お月様を。

「ろ」という、響きの味が、矢子は、好きです。

お恥ずかしながら、矢子は
俳句の、区切り目について。
また、字余りや、字足らずの
感覚が、上手に、掴めずにおります。

器月 なるもの取って くれろと云う  
器月なるもの 取ってくれろ と 云う  

五七五のリズムに、あわせることが
望ましいもの、と、理解しております。
でも、そうではない、とも、感じております。

ご指導、下さると、嬉しいです。
宜しくお願い致します。

------------------------------------------------------------
2006年09月19日11:31 Jiken

矢子様、こんにちわ。

矢子様にかかっては、
俳句評論も宙の彼方から咀嚼されるようで、
より一層世界が開けます。
拙句の「ろ」の効用を見出して下さりありがたいです。

俳句の形の上での基本の型は、
一応五七五の音数とされています。季語も入ります。
言葉たちを、とりあえずそのお決まりの器に盛れば、
形は整います。それで良い俳句が出来たのではありません。
上手に盛れただけ。形を成しただけ。
俳人が俳人たりえるのは、その先からだと思います。
俳句の技法、又は人によっては好ましからざる技法には、
おっしゃるように、字余りや、字足らずがあります。
その他、句跨り、句割れ、季重なり、無季、切れ字重複等、
いろいろ禁じ手で遊べる手立てがあります。
画家がキャンバスに絵を描くことと全く同じです。

戻って、拙句では「ろ」でもって字余りとなりました。
下五字余りのぎこちなさはこの句の必然と思いました。
矢子様は理ではなく感で捉えて下さり、好んでくれました。
私もこの「ろ」の醸し出す雰囲気が好きでそうしました。
一茶の句に似たようなのがあったかも知れません。
一茶に似れば本望です。
俳句の定型や区切りについては、今後俳句に携わっていけば、
否応無く考えさせられます。
ちなみに拙句の促音「っ」を数えなければ「く」が
中七に組み入れられて定型17音の句割れの一句となります。
でも、こういう理屈を考えて俳句を作っているつもりは
ありません。私は俳の句を作る心構えでいます。
ディフォルトのリズムとオリジナルのリズム、
何でもやりましょう。

コスモスが身を持ってリズムを教えてくれます。

------------------------------------------------------------
2006年09月20日09:01 yaco

二健様、おはようございます。

ご丁寧な、ご説明。
大変、有り難く、拝見致しました。

絵を描くように。音を奏でるように。
自転車を漕ぐように。
俳句の感覚を、すこしづつ、掴めるよう
ちいさな、閃きを、重ねていきたい、と、思っております。

先日。虚子の歳時記の、古書を、購入致しました。
色鳥。花野。穴惑。
居待月。ちちろ蟲。露の玉。
美しい季語たちと、例句の数々。
ぱらぱら、捲りながら、矢子のこころは
遥か遠くを、旅します。

二健様の、お便りに映った、一輪のコスモスに、誘われて
色取り取りの、コスモスたちの揺れる
河原へ、やって参りました。
高く、高く晴れ渡った、秋の空に
コスモスを、透かしてみますと、その花びらと、矢子は
ゆらり、ゆるり。螺旋を描きながら
空へと、落ちていきます。

日常に於いて、矢子は
理と感の均衡を、目指しておりますが
感に流され、理が
足の裏から、地中へ潜ってしまうことが
よく、あります。二気を、上手に操って
満ちた句を、空っぽの句を
模索して参る所存でございます。

今後とも、どうぞ宜しくお願い致します。

------------------------------------------------------------
2006年09月20日18:36 Jiken

yaco様、こんばんわ。

俳句天狗の説法ご静聴恐れ入ります。
遂に歳時記に手を伸ばされましたか。
同書は毒林檎か、宝石箱か、繙人によりけりです。
矢子様ですと、言葉の宝物を沢山探し出すことでしょう。
もう既にいくつかを手にされています。
私もあの感動の日々を忘れません。
歳時記で出合ったものが、現実の出会いとなるのです。
私は秋海棠という片思いの花を全然知りませんでした。
歳時記で言葉を知り、興味が募っていきました。
そしてある日ある時、遂に箱根の塔之澤の阿弥陀寺へ
通じる急な山道の路傍で出会いました。
群れずにひょろっと淋しく咲いておりました。
知らなければ、通り過ぎてしまうところでした。

  もしや貴方は秋海棠ではと立ち止まる  二健

------------------------------------------------------------
2006年09月21日19:32 yaco

二健様、こんばんは。

秋海棠。お写真を探して、拝見致しました。
美しく、可憐な、お花でした。
お句のなかで、秋海棠は、ほっそりと
咲いて居るように、感じます。
二健様。お花との初対面。
飾り気の無い、質朴な、お言葉のなかに
お優しい、紳士の香りが、漂って参りました。
「もしや」「では」。また「は」「と」の
心地よい、関係が、矢子は好きです。
「ではと立ち止まる」のなかに
「ふと」という、言葉の影を感じたり。
二健様。矢子は、また、ひとつ。溜息がでました。

お恥ずかしながら、矢子の句を、ふたつ。

 草かげろふ細き指先かすめ取り  矢子
 逢えるかな受話器枕に霧に問ふ

   ☆  ☆  ☆

文字の詰まった、おおきく、膨らんだ
星が、ひとつ。 破裂してしまうのではないか
と、感じております。

二健様の、フォトアルバム。
いままでのように、猫様にお招き頂いた
お部屋へ、お邪魔させて頂こう、と
しましたところ、67通目の、お便りを投函。
それを最後に、扉が、固まって
拝見できずにおります。
昨夜に引きつづき、今朝も
そして、いまも、幾度となく
扉を叩きましたが、開きかけの
猫様の、お部屋の扉は、虚しくも
フリーズしてしまいます。
矢子の、コンピュータの力不足で
扉を、開けないのかも、知れません。
ご迷惑をお掛けして、申し訳ございません。

天狗二健様と、矢子の交換日記。
何処か、別の星で、継続させて頂けたら
と、願っております。
宜しくお願い致します。

------------------------------------------------------------
2006年09月21日23:37 Jiken

矢子様、こんばんわ。
今晩は誰もいない秋風の今晩です。
ちょっと趣きが違う拙句をかわいがって頂き忝いです。
そうなんです、「ふと」を句の中で言ってしまったら、
身も蓋もなくなると思いますから、読み手がそう感じて
くれたら本望なのです。矢子様という読み手を得て、
言わないで言うことができました。
特に副詞は常套な雰囲気が出過ぎますから要注意です。

 [辛口堅実]←名詞-動詞-形容詞-副詞→[甘口緩慢]

俳句は上記の左寄りの言葉中心で作ればカチッと出来ます。
右よりの場合は常識から逸脱して使えば生きます。

矢子様の二句なかなかの矢子世界が漲っております。
草蜉蝣の卵は優曇華といって素晴らしい名前ですね。
これは田舎で見たことがあります。知らなければ
気持悪い只の虫の卵ですが、こんな立派な名前があって
文芸で詠まれているのならば、
見る目が違ってしまいますよね。
「草かげろふ」と「細き」が意味的に重なってしまうかな。
どうでしょう?どんな指先なのか対比をもって
別の観察されたら句がもっと広がると思います。
二句目、出し抜けの上五がいいですね。
物語の景が良く見えます。
ここで一つ気をつけなければならないことは、
俳句作者として、旧仮名表記にするのか、
新仮名表記にするかの選択です。
歳時記などではことごとく旧仮名です。
私は初心の頃の投稿魔時代は旧仮名でしたが、
原子公平先生に師事してからは新仮名で書いています。
矢子様の句を旧仮名に統一すると「逢へるかな」ですね。

さて、拙宅のフォトアルバムに
矢子様が入れなくなりましたか。
それは一大事です。私は今まで通り読み書きができます。
確かに現在矢子様の67通目が最下のコメントです。
mixiのほかの頁は大丈夫なのですね。
当フォトアルバムだけとなると、どうしたことでしょう。
兎にも角にも、それでは引越しいたしましょう。
どこの星へいきましょうか。
色々な星に掛け合ってきます。
交換日記続けられるところまで続けましょう。

------------------------------------------------------------
2006年09月22日09:17 yaco

二健様、おはようございます。

辛口堅実と、甘口緩慢の図。
非常にわかり易く、また、ひとつ。
俳句の、謎が、溶けました。
ありがとうございました。
常套語を、上手に並べて、二健様のような
素敵なお句が、詠めたら、と、思いながらも
未熟な矢子には、未だ未だ、手に届かぬ、お技です。
ですから、矢子は、名詞と、動詞ばかりを
連ねてしまうのです。
柔軟性に欠けるな、と、つくづく、感じながらも。

授かったご指導を、考慮しながら
きのうの句を、もう、一度。

 草かげろふ病める指先かすめ取り  矢子
 逢へるかな受話器枕に霧に問ふ

旧仮名遣いと、新仮名遣い。
無知な矢子は、旧仮名のかたちが
なんとなく、斬新に感じられ、句を、詠んで居るな
という、心持ちになります。でも、あまり、深く
考えることは無く、お恥ずかしながら
両仮名を、混ぜこぜにしておりました。
これからは、統一致します。
旧仮名表記と、新仮名表記。それぞれに
魅力があるのかと、思いますが
いまの時代。新仮名で、詠んだ方が
宜しいのでしょうか。

二健様。猫様のフォトアルバムの
コメントの頁以外は、いままで通り
拝見させて頂けました。また
猫様の、お写真への扉は、異常ありません。
http://mixi.jp/view_album.pl?id=437422&mode=comment
(↑開けません)(↓開けます)
http://mixi.jp/view_album.pl?id=437422
矢子が、勝手に、想像致しますには
猫様のフォトアルバムの、コメントの頁は
二健様と、矢子の、文通の回数が、増し
重たくなってしまった故、残念ながら
容量の少ない、矢子のコンピュータは
フリーズしてしまうのかも、知れません。

新しい、お星様の、誕生。
とても、楽しみにしております。
今後も、どうぞ、宜しくお願い致します。

------------------------------------------------------------
2006年09月22日22:52 Jiken

矢子様、今晩わ。恐れ入ります。

謙虚かつ的確なレスポンスに、
我が縒れシャツの襟を正されます。
俳句は明確な答が無いにも関らず、
我が一つの改作案を受け入れ、更なる推敲に及んで
頂けた直向なお心の現われを目の当たりにし、
戸惑い、かつ褌を締め直して係らねばと自省しております。
矢子様は稀に見る物分りのよい方です。

さらに言うなら「病める指先」とは具体的に、
どういう状態の指先なのでしょうか。
「病める」状態の写生が描かれれば強い言葉たりえます。
絵で例えれば、みすぼらしい林檎の静物画があるとします。
見た人は、萎びた林檎、虫食いの林檎、いびつな林檎と、
見て思い、そこから何かを感じます。
正に高島野十郎の静物の果物がそうでありました。
「病める」ということは読み手が、そう捉えることです。
俳句はお膳立てだけで成り立つべき文芸です。
高島野十郎の描く究極の蝋燭や月を見て考えさせられました。

新仮名はいつも日常で使ってまいので、
この際旧仮名の世界にまぐわってみるのも
良かろうと思います。
その上で二者択一の判断を下してもいいと思います。
どちらが適しているかとか、正しいとか全く言えません。
ある意味で、好みです。現在の俳壇の体制は旧仮名です。

当フォトアルバムの件よく分かりました。
引越しいたしましょう。
mixi内か、外のブログ等かという二つに一つの
選択肢でしょう。

------------------------------------------------------------
2006年09月23日18:50 yaco

二健様、こんばんは。

連日。ご丁寧な、ご指導を頂戴し
矢子は、とても、しあわせです。

きょう。二健様の、高島野十郎の適例を、拝見し
後れ馳せながら、「説明的であってはならない」
と、以前から幾度となく、ご指導頂いていたことが
やっと、わかりました。

 草かげろふ崩れる爪かすめ取りて  矢子

「崩れる爪」から、「病んでいる指先」は
連想されますでしょうか。
具体的に、この句で、矢子が描いた、絵は
パーキンソン病に掛かった、余命短い
叔母の手なのです。骨が脆く、壊れていく病状故
一昨日、訪問した際は、細い、指先についた爪が
変色し、腐りかかっておりました。
中途半端な、感じも致しましたが、余韻を
残す様に、終わりを拵えることを、試みました。

言葉の渦のなかで、足掻いておりますと
矢子の、操ることのできる、言葉の少なさに
愕然と致します。でも、未知の沼へ、落ちていくように
あたらしい、言葉との出逢いは、とても、魅惑的です。

秋分のきょう。お墓参りの境内で
ふと。思い浮かんだ、句です。

 水無瀬橋潤む墓銘や猫じゃらし 矢子

------------------------------------------------------------
2006年10月24日12:14 Jiken

矢子様、時はすでに一ヶ月経ってしまいました。
ご無沙汰しました。
一句の背景をつくづく思い知らされます。
作者の思いを一行の語り切れない少な過ぎる言葉で
表そうとするのですから、土台無理があります。
短歌や詩に託した方が、思いがうまく伝わります。
しかし、私の場合、極限的な省略や制約に於いて、
独自の言霊が浮遊する力を得たという実感を持てるのが、
俳句から離れられない理由の一つです。
俳句を作るに当たって、つい限られた音数の中に
思いのあれもこれも詰め込みたくなります。
そして分かり易く述べようとします。
俳句の場合、ずべてそれらの思いの裏をかくつもりで
真向かったほうが、面白い(良い)句が出来ると思ってます。
矢子様の句の背景は深刻です。切実感があって、
題材にしては申し分ありません。
習作としてはそのままスケッチすれば宜しいと思います。

>「崩れる爪」から、「病んでいる指先」は
>連想されますでしょうか

十分そのまま連想されます。素敵な詩語です。
しかし捻りと言われる俳句ならではのものは希薄です。
ここの所は常識の範疇でなくなりますので、
追々述べていきたいと思います。
ものを作る・描く・書く・詠む人は本格を目差します。
しかし俳句の道には破格が必要です。他も同様ですね。
良に対しての不良、道徳に対しての不道徳、
偽善に対しての偽悪…。
もう、矢子様は気付かれたと思います。
対立概念を糾える縄の如く拮抗させ、あるいは偏らせ、
完全に見えていて不完全であり、
真摯に言い切っているのに、可笑しいぞ、
という間抜けさも俳句にとっては大変大事です。
深刻なことを滑稽に詠むのは常識的には不謹慎です。
ですが、文学的には昇華できるものと信じます。

  可笑しくてやがて哀しい俳句かな  二健

------------------------------------------------------------
2006年10月25日08:41 yaco

二健様、おはようございます。

ご多忙ななか、矢子のことを、思い出して
頂き、大変、嬉しく、感じております。
季節は、すっかり、冬色を帯びた、秋です。
矢子の庭には、椿の実が、まあるく、膨らみ
ちいさな、山椒の実が、震えております。
ストーヴの暖かさに、抱かれておりますと
窓のそとの、霧雨の、冷たさが、何処か
遠くの、現実のように、感じられます。

矢子の、拙い、句について。引きつづき
ご指導頂き、こころから、感謝しております。
ありがとうございます。

矢子は、俳句の、リズム感。
言葉、ひとつひとつの、響きや、繋がり。
十二音の窓から、向こう側に広がる
世界を、覗くことに、魅力を感じます。
無限に広がる、物語りを、句に
託すことができるものと、信じております。
本格。破格。ともに、すこしづつ
理解に、努めて参る所存です。

常々、感じておりますが、お恥ずかしながら
矢子は、ユーモアや、ウイット。
面白さや、可笑しさ。そんな、遊び心を
備え持っておりません。狙ってみましょう、と
すこし、背伸びをしておりますと、ますます。
上手に、表現できません。また
何処となく、こってり。してしまいがちです。
二健様のような、さらり。お茶目で、気品漂う
お句に、とても、憧れます。

ご指摘賜った、改善点を、考慮しながら
青虫から、蛹へ。たくさんの、名句の葉っぱを
むしゃむしゃ食べ、矢子のちいさな
句のうんちを、ころころ。産み落としながら
修行致します。
 
 骨拾ふ団栗ぽつり髪を梳く 矢子 
 月眠りマッシュポテト鍋濁す
 胡桃割り歌ふ人形母恋し
 青林檎腐れリ我の頭蓋骨
 深呼吸パレット模様木の葉散り
 
捻り、について。ときが、訪れましたら
伝授下さいますよう、宜しくお願い致します。

------------------------------------------------------------
2006年10月28日08:20 Jiken

矢子様、おはようございます。

私のもの言いは指導などというものじゃなくて
思いの丈をぶつけるまでです。
俳句に対する一つの考え方や想いでありまして、
誰に対しても必ずそうだというものではありません。
一番大事なのは、その人らしさの漲った俳句です。
私の性に合った俳句観は滑稽重視ですが、
あくまでも私の考えです。
矢子様の詩のスピリットをそのまま凝縮して俳句にするのも、
それはそれで素敵なものが期待できます。
何よりも実作されていることに敬服します。
ああだこうだと考えるより先に作ることが肝心ですね。
私の伝授は俳句観を一つの方向だけに導くものでは
ありませんので、どうぞ矢子様は矢子様の羽で自由に
空を飛んで下さい。矢子様の想像力でしたら
宇宙の果までも駆け巡ることでしょう。
滑稽や詩情は狙って作るよりも、
滲み出てくるものの方が良質です。
先ずは囚われず、拘らず、のびのびと作りましょう。

・「骨拾ふ…」の句などは意識されずとも滑稽感があります。
火にくべられるべく栗ならず、
団栗が主役の童話のような一場面。面白くて怖いお話。
焼かれるべきものが焼かれた骨を拾っている理不尽さ破格さ。
艶やかな女を連想させる下五の動作。
意味がどうにでも拾える言葉の置き方。
読み手を楽しませてくれる一句です。

・二句目は「マッシュポテトの鍋」と‘の’を入れた方が
いいような気がしますが、どうでしょうか。

・「青林檎腐れリ我の頭蓋骨」
‘リ’は‘り’のまちがいかな。
ちなみに私の自由律の旧作に
「誰のおかげで青林檎だったんだ」なんて変なのがあります。
矢子様の句は超自然に踏み込んでいて面白いですね。

・最後の句ぶつ切れですから
「パレット模様□木の葉散り」の□に
助詞が欲しいところです。

捻りはある種の仕掛けでもあります。
短い俳句は修辞法と共に季語や切れ字、捻りと、
あの手この手で生き抜いています。

  野良猫のみーちゃんがいて秋の朝  二健

------------------------------------------------------------
2006年11月01日09:28 yaco

二健様、おはようございます。

秋の朝。お手洗いの、小窓から
お外に、すこし、触れますと
鳥の彫刻した、熟柿が
きらきら。輝いておりました。

>野良猫のみーちゃんがいて秋の朝  二健

ほのぼのとした、柔らかい、朝を感じます。
光に包まれて、すこし、ひんやりした
風が、心地いい。優しい、朝です。

矢子は、矢子の、心地のいい、藁のうえで
矢子の、産み落とした、ちいさな、句のたまごたちが
孵化するよう、雌鳥のように、まあるくなって
この、秋冬を、迎えようと、思っております。

 月眠りマッシュポテトの鍋濁す  
「の」を入れ、整った感じに、なりましたでしょうか。

 青林檎腐れり我の頭蓋骨
二健様の、仰る通り。「り」の間違いです。

 吐息舞ひパレット模様の木の葉散り
「の」の、連なり。耳障りでしょうか。

どうぞ、宜しく、お願い致します。

------------------------------------------------------------
2006年11月02日04:34 Jiken

矢子様、おはようございます。

出勤前の昨晩、いつもの変電所の路肩に自転車を止めようと
したら、みーちゃんとすっかり大きくなったトラブチ君が、
きちっと前足立てて座って、こちらを見ていました。
馬肥ゆる秋のせいか母猫みーちゃんも太っていました。
もの欲しそうにこちらに歩み寄って来たのですが、
何もなくて、「みーちゃん、元気かい」と声かけて
やっただけでした。
「野良猫のみーちゃんがいて秋の暮」とやりたい処です。
自分の句をパロってみてもはじまりませんね。

・そうそう整いました。のの効用です。のは万能薬です。
・やはりそうでしたか。意図されたものだったら
どう解釈しようかと思いました。
・短歌でも俳句でも「の」は連なっても変じゃないですよ。
それよりも「舞ひ」は、「木の葉散り」と重なりますので、
言葉が少ない俳句では、もったいないと思います。
例えば説明調な「舞ひ」の動詞を避け、お決まりフレーズの
「桃色吐息」とかをもじったりすれば、
別概念の配合でイメージがもっと広がると思います。
あるいは「舞ひ」の代わりに矢子様得意のありきたりでない
奇抜で新鮮なオノマトペを持ってくるのも面白いでしょう。

  磔にあらず案山子のやぶにらみ  二健

------------------------------------------------------------
2006年11月02日20:08 yaco

二健様、こんばんは。

きょう。矢子は、高尾から、相模湖の
緑の山々が、赤や、黄色の衣装に
着替えをはじめている、模様を
車窓から、こっそり。覗いて参りました。

案山子の、何処となく、滑稽で
何処までも、哀しい、様子が
眼に、浮かびます。磔では無い、と
二健様は、詠んでいらっしゃるのに
矢子は、磔になったひとの、怪奇的な姿や
その、ずれた視線。生臭い、恐ろしさに
包まれます。この、お句が
田んぼのなかに、響いたならば
鳥たちは、忽ち、消えていくことでしょう。
不思議な、迫力です。

 青息吐息パレット模様の木の葉散り

もうすこし。練習致しました。
宜しくお願い致します。

 黄菊聴く枕に映るは何時の風  矢子
 熟柿彫る嘴借りて香を聴く
 ひよいとし項掠める音むなし

------------------------------------------------------------
2006年11月03日08:28 yaco

二健様、おはようございます。

きのうの、2番目の、句を
すこし、整えてみました。

  熟柿彫る嘴去りて馨辿る 矢子

宜しくお願い致します。

------------------------------------------------------------
2006年11月06日02:08 Jiken

矢子様、おはようございます。

すっかり秋というか、もう初冬が目前ですね。
高尾山の天狗が錦に埋もれる頃ですね。
正に、

  青息吐息パレット模様の木の葉散り  矢子

のような趣。青色吐息じゃなくてよかったです。
いい感じのリズムになったと思います。

 黄菊聴く枕に映るは何時の風  矢子

評:「何時の…」と、ムード的に疑問に思う表し方は、
俳句として潔くないと思います。初心者はしばしば
「…何思う」とやってしまいます。
この類は甘く流れてしまいます。
俳句は断定し、言い切ることが大事です。
切れ字が重要視される由縁です。
私はよく「嘘でもいいから断定せよ」と言ってます。
一行の句に強度を持たせるためです。
「何時」に具体性を持たせるといいですね。
「黄菊聴く」は分かり辛いですが詩的な意図なのでしょう。

 1.熟柿彫る嘴借りて香を聴く  矢子
 2.熟柿彫る嘴去りて馨辿る   矢子

評:「彫る」「借り(去り)」「聴く(辿る)」では明らかに
説明調で締まりません。
ああしてこうしてこうなった、という三段論法の禁じ手です。
要は動詞は説明的になるので少なめに、という事です。
精々二つ、できたら一つで十分です。
無くても良い句が出来ます。
次の句は物を指し示しているだけです。
「とりかぶと部落出口の供養塔  松崎鉄之介」
動きは読者に想像してもらうのです。
この句はもう「柿彫る嘴」だけで出来ています。
これをどう引き伸ばして整えるかです。
私が作ったら身も蓋もありませんが、作例として示します。
「柿を彫る嘴一つありにけり」こうすると焦点が定まります。
「くろがねの秋の風鈴鳴りにけり 飯田蛇笏」は秀逸です。

 ひよいとし項掠める音むなし   矢子

評:「ひよいとし」は多分現仮名での「ひょいとし」の
副詞ではなく「鵯愛し」だと思います。
この句も「いとし」「掠める」「むなし」の説明過多です。
生真面目な言い過ぎは読者の想像する楽しみを奪います。
俳句は読者の読みによって熟成されます。
極端に言えば素材提供だけでいいのです。
「愛しい」と「虚しい」では甘く流れてしまいます。
短歌ではこれでいいのですが、俳句では冗長となります。
「ひよどりの音(が or の)掠める項かな」と感情を
押さえることが出来ます。
これで愛しさも虚しさも表せていると思います。

以上辛らつに批評しましたが、
俳句の基礎ですので楽しんで自己格闘して下さい。

------------------------------------------------------------
2006年11月07日08:25 yaco

二健様、おはようございます。

基礎からの、ご丁寧な、ご指導。
大変、感謝しております。
ありがとうございます。

すこし。練習を、さぼっておりましたら
また、説明過多の癖が、でて参りました。
折角、ご批評頂いて居るのに、なかなか
紅葉できない、青い、葉っぱのようで
大変、申し訳ございません。

 黄菊聴く枕に浮雲映りけり  矢子

 熟柿彫る嘴ひとつ影ひとつ
 柿を彫る嘴ひとつ風ひゅるり

>鵯の音の掠める項かな

矢子の誘ってきた、拙い言葉たちが、こんな風に
紡がれて、いくこと。とても、お勉強になります。
二健様の、ならではの、お業です。

もう、ふたつ。

 狂い花爪先立てて並びけり  矢子
 木の葉髪溜息絡め襟巻きに

宜しくお願い致します。

一頻りの雨の、去った、いま。
柔らかい、朝の陽射しが、矢子のお庭の
柿の実たちを、優しく、包んでおります。
一段と、寒くなって、参りました。
二健様。お風邪など召さぬよう、ご自愛下さい。

------------------------------------------------------------
2006年11月09日18:16 Jiken

矢子様。こんにちわ。

秋から冬の花がこぞって咲いております。
歩道の植え込みの柵から、
黄菊がなだれ出している所で
信号待ちをしました。
ちょっと空いた時に他所見すると、
ささやかな出会いが待ってました。

> 黄菊聴く枕に浮雲映りけり  矢子

そんな触れ合いと想いの継ぎ接ぎから、
浮世が更なる浮世の景として生まれ変わります。
その景には生きものの息遣いも聞こえます。

> 熟柿彫る嘴ひとつ影ひとつ
> 柿を彫る嘴ひとつ風ひゅるり

彫っている素朴な音が聞こえます。
二枚のスケッチ、省略のよろしさの比べ合い。
‘熟柿’よりも‘柿を’の方がシンプル。
熟していることは想像できますから。
あえてそういう必然があるかどうか。
丁寧にスケッチし過ぎると
「柿が熟しているから鳥が突いているのだ」という
理屈が生じてしまいます。
だから、私は‘柿を彫る’のほうが好きです。
助詞‘を’が、ゆったりと丁寧に言葉を
つなげてくれています。
短い句ながらも余裕を感じます。
‘風ひゅるり’との配合で、
句のイメージが決定付けられ一人歩きして行きます。

> 狂い花爪先立てて並びけり  矢子
> 木の葉髪溜息絡め襟巻きに

狂い花の句、完璧です。
旧仮名表記ならば‘狂ひ花’ですね。
‘木の葉髪’と‘溜息’と‘襟巻き’は、
物理的に近すぎて、句の広がりがなくて惜しいです。
どうとても近い連想をしていまいがちですから、
なるべく突拍子もないとまでいかなくても、
遠い処のモノゴトを配合した方が、
面白い句になりますよ。

只今、D.サンボーンの「クローザー」という
音楽が流れています。
絵のお勉強も俳句を作ったり読んだりすることも、
よく似ているでしょう。
私も俳句をイメージするとき絵や写真に置き換えて
楽しんでます。
ますますご健吟下さい。

------------------------------------------------------------
2006年11月12日13:13 yaco

二健様、こんにちは。

D.サンボーンの、クローザー。
先日。ふらり。試聴して参りました。
お洒落な、都会の風景に、春の訪れを
感じます。ありがとうございました。

>絵のお勉強も俳句を作ったり読んだりすることも、
>よく似ているでしょう。
二健様の、仰る通りです。どんな、掟があっても
どんな、枠組みのなかでも、矢子の
産み落とした子は、矢子の子です。
矢子の成長が、こどもたちの栄養です。
すこしづつ。努力を、重ねていく所存です。

         ☆

未熟な矢子は、熟柿。という、響きや、絵に
何処と無く。惹かれておりました。
でも、二健様のご説明を、拝読し
シンプルな表現の、魅力と、余韻が、漸く
すこしづつ。わかって参りました。
矢子の、句たちは、こってりしていて
不格好だな、と、感じておりましたので。

 狂ひ花爪先立てて並びけり  矢子

何と無く。背伸びを、してしまうからでしょうか。
旧仮名遣いを、ついつい。忘れてしまいます。

 木の葉髪難破船を包みけり 矢子
 木の葉髪難破船は揺籠に
 木の葉髪かきくけ小鳥雲の上

宜しくお願い致します。

風が、お空を、お掃除しております。
光の粒たちが、きょうも。矢子の
髪の毛を、滑ったり、淀んだり。

こんなに、たくさん。光の雨が、降り注ぎますと
矢子は、お恥ずかしくなって、首を、竦めてしまいます。

         ☆

矢子の園。
お部屋のお名前が、美しい、冬色。水色に。
氷の張った、湖が、此処彼処。
輝いているようです。秋冬の模様替え。
ありがとうございました。

------------------------------------------------------------
2006年12月06日18:54 Jiken

yacoさま、こんばんわ。

ひざっこぞうが寒い季節となりました。
レッグウォーマー(底抜けの靴下状のもの)を
買って着用したら具合いいので脱げなくなりました。

熟柿、たしかに音も含めて惹かれる言葉ですね。
そういう琴線に触れる言葉を生かしたいのが俳句です。
柿は熟してこそ柿なのだという通念を打ち破るほどの
文脈を持った句の中で熟柿が存在していると、
とっても斬新で輝いている主体になると思います。
短い俳句では、同居している言葉と言葉が仲良し過ぎたら
やっかみ焼かれます。熟柿という言葉を孤立させ、
挑発させるような言葉や、その流れをあしらえば、
独創の句として屹立すると思います。
建前はそうなのですが、いざ実践となると絵も俳句も
正解がありませんので、作者としての貫きが大事でしょう。

先ずは俳句の原点として、
シンプルな表現が出来ることが肝心ですね。
いっぱい持っているボキャブラリーを、
惜しげもなく出したい気持を抑えて、
ストイックに絞り込むのが俳句の骨法です。
発展すれば、どんななに型破りで、ごたごたな作品でも、
原点に返れば俳句の骨格として、
同一な強みが備わっているものです。

旧仮名には旧仮名ならではの言霊や雰囲気がありますから、
その歴史的ムードや背伸び意識の餌食にならないことです。
俳句の本質は、季語、定型、切れ字、新旧仮名遣い、
正字俗字、文語口語等の形式や方法論、
つまり道具仕立てではなく、俳の成す句なのです。

早い話「背伸びをしている自分や人様」を
諧謔する側に回るのが俳人です。
そこにはトリッキーな小鳥が囀り、
アイロニーの杠葉と木漏れ日が、
かくれんぼをしております。
(↑矢子様風な語り口ですね。うつっちゃいました^^;)

さて、いよいよ本題、矢子様3句のご試作。

 木の葉髪難破船を包みけり  矢子

・中七字足らずなので「難破の船」とすると整います。

 木の葉髪難破船は揺籠に  矢子

・…船が揺籠へと移行するイマジネーションはいいのですが、
揺れる物としての連想が近いのがもったいない。

 木の葉髪かきくけ小鳥雲の上  矢子

・中七が凄くいいです。音と言葉遊び絶妙です。
小鳥が彼の世への使者のようです。明るい諧謔秀逸です。
こういう俳句が出来た矢子様はもう初心者じゃありません。
早くも天性のものが光りだしました。
理屈や教養や知識じゃなくて遊び心の成せる技です。

いい句に出会うと心も晴れます。

 ほめられて鳥瞰氷張りし湖  二健

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
以上、矢子と二健俳句問答 2006.9.9〜2006.12.6
ラベル:俳句 二健 矢子
posted by 二健 at 17:04| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 俳句 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
_________________________________________
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。